9/27,29 (Ⅴ,Ⅶ) 第7研究班の特異達
システムがダウンし淡く白い世界が消え、無機質な灰色のタイルへと戻る。
どこまでも続いているように見えていた空間も四方を壁で囲んだだけの部屋へと戻っていた。
そこへ、少女が緩やかになびく黒髪を乱しながら、扉を壊すほど強く押し開けて 怒声と共に入ってきた。
「キッツイわ!成人とはいかずともそこそこガタイのいい男が自分の胸揉みしだいてる図とかキツすぎるわ!!こんなの教授に見せられないだろうが!!!」
相変わらずの短気。元気そうで何より。
だけどもこっちにだって言い分はある。
「そうは言うけど、これはお前が『記憶喪失状態なんて何しでかすか分からないし、黒歴史になったら嫌だからやりたくない』って突っぱねたからだろ」
「自分のアラレもない姿を晒すかもしれないリスクがあるのに、やる訳ないだろうが」
……まったくこいつは。
「お前それを俺に押し付けといて文句つけんのかよ……。てか記憶喪失時の『ありのまま』のデータが必要な以上、被験者になるのだってそれ相応の覚悟をもってだな……」
「分かってるがキモイもんはキモイ」
こいつッッ!!
「研究だって言ったってな、女のでも男のでも自分で自分の胸揉んでる人間の観察部分なんか要らんし、誰も見たがらないんだぞ」
ご最もだが。
「いやだけど 俺の場合はこうなったんだから、やり直したところで結果は大して変わらないかと」
「性根の部分でキモイということか」
「やめろ」
「ま、とにかく一回やり直しだ。また同じ結果になったら他の奴で撮るぞ。んじゃよろしく」
言うだけ言って出ようとするその背中に一言吠える。
「結果 変わんなかったらデータ消せよ!!」
ひらひらと手を振るだけでそいつ――レイチェル・ネロ・エバァンチカ――は、白衣を翻しさっさと扉を閉めて出ていってしまった。
「はぁ…」
思わず ため息が漏れる。
優秀な奴がグループにいればサクサクとレポートも進むだろうと思って、どんな研究内容でもいいやと、後先考えずにネロのところを選んだ自分が憎い。
研究内容というよりは研究員によって今 現在振り回されている俺は、少なからず このちょっと先の未来で、先刻と同じように自身の胸を揉んでいるであろう自分の姿を想像して、逃げ出したい気持ちでいっぱいであった。
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科学が発達し、科学が文明の中心となった世界。その中でも血筋として金色の髪を持つ者が多い国。
の、南東地方医学分野第二学校中等部の校舎、特別体験学習室にて俺ら第7研究班はいつものように卒業研究に勤しんでいた。
はずなのだが 今日は班員が2人しか集まらず、せっかくの臨床実験なのに やりたくないと我が儘を言う班長のせいで、消去法により俺が被験者となっている。
世界が科学に重きを置いているわけだから、研究に引きこもりまくった人類は年々身体機能が弱ってきている。
それを受けて我が国は教育機関に生徒の運動部所属を義務付けたわけだが…。
「なんか、うちの班、ガチの運動部入ってる奴多いだろ…。あいつらが来ないせいで俺がやるハメになったし良い結果でないし…」
2度も羞恥を晒すハメになった上に研究データに使ってもらえなかった記憶喪失体験を終え、体験室横に隣接している情報管理室にて、俺は脳を弄られた反動で回る視界を治すために、ソファで寝転がりながら、ふとそんな言葉を漏らした。
原則として班は、班長(考察者)、副班長(提案者)、書記(管理者)などの3名の他に執行者(実験体やら雑務)2名の計5人編成だが、俺の班の場合 初の臨床実験にも関わらず副班長と書記は、「部活の方、大会近くて〜」だの「ごめんなさい。どうしても今日の練習には出ておきたくて」だの見え透いた嘘をつき、果ては俺と共に執行者をしているもう一人の雑用係も「今日の臨床実験行けば、絶対被験者やらなければならないじゃないか。行くわけないだろ」と正直に言い残し、ホームルームが終わった途端に教室から走り出ていってしまった。
全国大会常連のテニス部やバレー部、弓道部所属の奴らに、我が校でも1、2を争うほど弱小と名高い なんちゃって運動部である卓球部に属している俺の脚力では 追いつけるわけもなく、捕まえることが出来ずに臨床実験の被験者をやらざるおえなくなった訳だが……。
やはりというかなんというか。
ネロに文句をつけられてもう一度実験を仕切り直したにも関わらず、結果は同じ。俺がただ自身の身体を撫で繰り回すだけであった。
実験なのだから、望まぬ結果を見て見ぬ振りをするのはどうかと思うが、ネロ曰く、必要なのは「記憶喪失状態での環境に、適応力の高い個体のデータを参考とすることで、実際の記憶喪失者が日常生活への順応を心身共にストレスなく行えるようなサポートの術」を得ることであり、その大元の課題において、記憶喪失でパニックになるでもなく、自分の身体を触ってるだけの被験者のデータなんか使えないらしい。
「ま、データを取るのではなくシステムの作動チェックとしては使えるさ。そう落ち込むな」
本人なりの 慰めのつもりなのだろうが人の傷を広げるようなことを言いながら、やっと細かいシステムの調整が終わったのかネロが体験室から出てきた。
「実際 凄く助かってるさ。今回のことで、海馬を損傷させると俗に言う思い出、エピソード記憶だけでなく自身の身体の領域に関する感覚すら忘れてしまう等、他にも変わった形で影響が出ることを確認できた。」
まじで俺はモルモットとしての役割しかないらしい。
傷を広げるどころか塩を擦り込んできやがる。
「つーかそれ悪影響であって特に何も収穫はないんじゃ……」
「ふはは。そんなんだからお前は執行者止まりなんだ」
高らかな笑いと共に人を侮辱する白衣の魔女もどき。
汚れ一つない白衣にかかるその鴉色の髪が、笑うと小さく揺れて まるで「気」を纏っているように見える。気は気でも邪気だが。
「いいかサーシャ。医学に限らず影響ってのは悪い方へも良い方へも転がるもんだ。今回は悪い方へ、求めているものではない方へ結果が転がった訳だが、これの原因を突きとめ自由に応用することが出来れば……?」
「結果を求めている通りにできる…」
「そういう事だ」
フフンと得意気に言うネロのその表情は、明らかに格下の者への見下したものだった。
しかも そのままドヤ顔で話を進める。
「こうやってただ実験するだけで、その結果について何も考えつかない奴は研究職には向いていないな。お前みたいな手先の器用な奴は医学研究よりも外科なんかの医者になった方が有意義だろう」
なんというか。
コイツは同じ分野において自分より劣っていると判断した人間に対して、馬鹿にするようなことはあるが悪意は一欠片もないらしい。
今の発言にしろ「外科になれば」というのは単に嘲笑を含んだものではなくて、真剣に俺の性格における向き不向きを考えての言葉だろうし、また こちらとしてもネロの真剣な思いから出たものにとやかく言う気は起きない。
まあ?
だからと言って?
ここで口をつぐんでしまっては、俺、アレクサンドル・ランシュビーツとしては不自然なわけで?
当然のこととして、俺は茶々をいれた。
「だけど俺の執刀に命を預けようとしてくれる物好きはいないぜ、きっと」
「……」
何も言わないネロ。
そこは「そんなことないぞ」と言って欲しかった。
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我が班 初の人体実験から2日後。
俺ら第7研究班は せっかくの週一の休日を 書記、メイ・クローコークの家にて、遅々とした話し合いの中、過ごしていた。
「この間の金曜は珍しく他の班と実験ブースの申請が被らなくてな」
広く殺風景な部屋に班長の声が厳かに響く。
「私は第一回目となるこの人体実験を凄くすごーく楽しみにしていたんだが――」
そして その声は少し怒気を帯びていた。
「何故、絶好の機会であったにも関わらず満足のいくデータを収集できなかったのかな?」
そうだそうだ!
無力な俺をおいてとっとと部活に走った若干名!答えろ!
「なあ、教えてくれないか。副班長以下4名」
「は?俺も?」
「当たり前だ」
「なんでだよ?俺はモルモットになってやったろ?!」
「使えんクズデータばかり撮らせやがって」
そう言われてしまうと何も言えなくなってしまう……。
「いやでも俺はちゃんと集まったじゃん?俺よりもっと罪の重い奴はいるはずなんだ!そうだろ?」
「それは勿論のことだが、お前に全く罪がない訳じゃない。程度が違うだけで同罪だ」
「無慈悲だ…。自分はやらなかったくせに……」
「ああん?」
「はははっ!今どき『ああん?』なんていう人いないよ〜、レイ君。それにその言葉使いは少し下品だよ」
ネロが今にも俺に掴みかかりそうになって、やっとそこで副班長――笑いながらネロの精神を逆撫でるようなことを言う、ノエル・ハウ・シュガーナ・ハイミリア。という長ったらしい名のお気楽 貴族様――がその口を開いた。
だが、突っ込んで欲しいのはそこじゃない…。
「ノエル君よぉ、頼むからネロの機嫌を損ねる発言はしてくれるなよ…」
「ふふ、サーシャ君てば何をそんなに気にするのさ。レイ君はこのくらいじゃ怒らないよ」
「そりゃ今さら怒らないだろうさ…。既にキレてるからな」
チラッと横目で、この状況において、にこやかな笑みを浮かべて口を挟む気のない家主と 最初から参加する気もなく何やら携帯型ゲームに勤しむサボり魔執行者を見やる。
駄目だここに頼れる奴はいない。
……どうやら俺がこの場を収めるしかないようだ。
「とにかく、明日 朝6時で実験ブースの使用申請だしてさ、片っ端からそれぞれ試してデータ撮ろうぜ」
「馬鹿かサーシャ。私がやるわけないだろう?」
「僕パスする〜」
「遠慮しますわ」
「誰がやるかよ」
「満場一致でなんだよお前ら仲良しか!ていうかメイとユーリに関しては話す気ないと思ってたんだけど、拒否についてはしっかり意思表示するのな」
「サーシャ君突っ込みご苦労〜」
「騒がしいぞ、サーシャ」
「嫌なものはイヤとはっきり言うよう教育されてきましたので」
「うるさ…」
こいつら協力しようとはしないくせに文句だけはしっかり言いやがる。
「いやいやいや。俺ら5人で1グループなわけよ。役割分担してやることやんなきゃ卒業できねぇんだぜ?」
「って言っても、記憶喪失の自分を人前に晒すなんて怖くて出来ないったら」
「それにデータとして記録が残ってしまいますもの。万が一、羞恥の極みのようなことをしでかしたらきっと私、恥ずかしさから自殺してしまいますわ」
拒否動機がネロと同じなんだよな。
「いやお前らそれ言ってたら本当に何も進まねぇじゃん…」
思わず溜め息がもれる。
俺だって人と協力して何かを作り上げるなんていう苦手なことを、逃げずにやろうとしてるというのに、こいつらは不満があればすぐ口に出すし嫌なら逃げる。
羨ましいような呆れるような。
「てかユーリアム・テイナー。俺はお前がなんだかんだ一番気に入らねぇんだが」
「……」
「いや聞こえてんだろ無視すんなや!」
ヘッドホンを付けてはいるが地獄耳に聞こえていないわけがない。
気がつけば 収集のつかないこの状況に、同じ執行者なのに嫌なことはスルリと逃げ仰せ全て俺になすりつけてすっとぼける、普段から「自分さえ良ければそれでいい」なんてのたまわる外面だけイケメンにほぼ八つ当たりしていた。
「聞こえてないわけじゃないが、」
「聞こえてんじゃねーか」
「ただ、聞く必要のない話だと思ったからな」
「なお タチが悪いな…。それより無視しないでくれよ」
「特に理由はないが俺はお前のことが嫌いなんだ。無視する理由はそれで事足りる」
……気が合うな。
俺もお前が嫌いだ。
「とりあえず、だ。」
俺はキレそうになるのを堪え、深呼吸して宣言する。
「明日5時50分に実験棟第一入口に集合。異論がある奴は言え」
そして何か言おうとする面々が口を開く前に言い放つ。
「発言した奴からそれぞれ秘密にしてることバラしてやるから。実験に付き合うのと、どっちがリスクかよく考えろよ」
よし、決まった……!!
と内心ガッツポーズしつつ、さっさと帰ろうと席を立つ。
と、その俺に
「いいさサーシャ。その代わりと言ってはなんだが、明日は君も色々と覚悟を決めておくんだな」
という冷たい声が浴びせられた。
恐る恐る顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべるネロと目が合った。
表情と一転し妖しい輝きを持つその目は、確実に「お前を殺す」と言っていた…。
陽だまり(プロローグ)
気付けば淡い光の中で泣いていたのは自分だけで、何も無い空間のなか佇んでいた。
手に残る微かな暖かさに何故かまた涙がこみ上げてくる。
泣いている理由も、ぽっかり失ったこの胸にある喪失した感情も、大事であった、大切であったということ以外 分からない。
よくあるお話で、一般的に浮かぶ記憶喪失の感覚、のイメージ。そうかこれは確かに切ないものだ――と自身の想像のなかの記憶喪失と重なる感覚に、やはり自分が合っていたという得意げな気持ちと、さてでは何も覚えていない自分はこの次どうしたら良いだろうかという問題に首を傾げる。
そこで「首という概念があるのか」、ならば。と先程の手に感じた懐かしいような微かな暖かさを思い出し「手を」見てみる。
――感覚はあるようだ。
だが視認できない。
もう微かであった暖かさすらなくなっていた。
感じられるのは自分で動かしているという意識のみ。
「不思議。」
と近くで音の連なりを感じて初めて驚いた。
そしてそれが聞き慣れた自身の声だと認識できたところでまた疑問が増えてしまった。
喉が存在すべき部分へ手を伸ばす。
なだらかとは言いきれない少し出張った膨らみにまた言葉が出る。
「のど……ぼとけ?」
感覚だけではそれがどの程度の「こぶ」であるかは検討つかないが女だとは言いきれないと判断できた。
女……か。
このまっさらな空間の中、更には自身の身体が存在していることを視覚で認識できないなかでは無意味なことだと分かってはいるが、ふと、下を見てみる。
本来、標準であればそこには柔らかく滑らかな2つの膨らみか、どこまでも真っ直ぐな絶壁かが見えるはずだが……。
まぁやはり何も確認出来なかった。
「手」を胸部にそっと触れてみる。
……どちらとも取れる微かな膨らみ。
ペチャかムキムキか。
そこまで考えたくないものだ。
それに関しては思考を放棄することにした。
何も考えずに揉みしだく。
と、そこで突然声が響いた。
「ーーーーーー!!!」